脱線 高校受験編No.017
ラグビーは中学校編まで終わりましたがここからは少しラグビーから外れて高校受験編を書きたいと思います。
ラグビーの大会に負けた6月から土日の練習も終わり、平日は中学の部活をしてなかった自分は一気に暇になりました。
とは言っても受験生、学校終わったら塾に行って友達とだべりながら帰ると言う生活を続けていました。
ラグビーの友達も学校がみんな違うので会わなくなりました。その中でラグビーチームのコーチと話したりもして自分の進路の相談もしたりしました。
特に一個上の先輩たちは九州大会にも出場したのでラグビー推薦なんかがもらいやすかったらしく、本来の自分の学力よりもランク的に上の高校とかに行ったみたいです。
ただ、それがコーチの独断だったらしく、スクールの方針とは合わないらしく進学の道具にラグビーを使うなというような流れにもなったらしいです。
そんな中、たまにチームのみんなで会う機会があれば進路の話になりどこに行くのかまた近隣の2チーム(九州大会優勝チームと4位のチーム)の主力選手もどこに行くんだろうなんてみんなでワイワイ集まって話してました。
自分の志望校は地域で一番の公立の進学校でした。ラグビーも一度だけ花園に出たこともある県内では強い高校でした。
自分たちが県大会で負けたライバルチームの主力でもありクラスメイトの友達は少し遠くの博多の強豪私立高校(笑)に行くと言ってました。当時でも全国大会常連校、いまだと全国BEST4くらいは毎年行くような超強豪校です。その彼は中学校のオール九州のメンバーにも選ばれていて冬には遠征にも行くという有望選手だったのでその高校に行くのも納得でした。
その彼のお兄さんが自分たちの2個上で志望校のラグビー部にいるということもあり、行く前からいろんな情報は聞いていました。
あと、自分のその高校の志望理由はもう一つありました。父親もそこの高校のラグビー部出身でした。
なんとしても受かりたい、受験のチャンスを増やすということで推薦入試も受けてみようと思いました。
実際前年度のラグビー部の先輩たちはほとんど推薦で合格してました。推薦だと2月の中旬くらいに結果が出るので一般受験よりも1ヶ月くらい早く受験戦争から逃れられます(笑)。
そして、推薦の面接と小論文、どちらも失敗はなかったと思いましたが結果的には落ちてしまいました。
流石にショックを受けてそのことを聞いた当日は学校終わってから塾に行けませんでした。
後々聞くと、同じラグビーチームからは自分を含め3人受けましたが残りの2人は見事に受かりました。自分の内申点が低かったのと推薦で受かったうちの1人は推薦に落ちたら一つランクを下げた公立高校を受験するつもりだったそうです。
なので自分にはもう一回一般受験をして来い!!という意味だったのではといまは思えます。
そして一般受験の日。結構試験の出来は良い感じで合格後のテストの点公開の時に聞いた話だと上から30番だか50番くらいには入っていたそうです。60点満点の5教科のテストで270点くらいは取ってました。ただ、中学校の先生からの評価は低く、内申点は合格ラインに届かなかったそうです。
本当に落ちるか落ちないかくらいの当落線上にいたみたいですが、そこはラグビーをやっていたということもあり、名前を覚えていてくれた先生が合格させてくれたというような逸話を聞きました。
いま思うとこれくらいしか勉強に関しては誇れることがないです。現時点で34歳の自分の15歳の頃が頂点だったのでしょうか(笑)。
無事に受験も終わり、高校編に突入します。