タカの日記

医療系サラリーマン兼ラガーマンの日々の思いをまとめていきます。

ラグビー 高校二年生編Part2 No.022

九州大会は当時は一位パートと二位パートに分かれていて九州沖縄でそれぞれ8校ずつで準々決勝からのトーナメントみたいな形でうまく組めていました。


当時は選抜大会もなかったので一位パートを優勝したら東日本大会に招待されるくらいでした。


我が校も他の県の二位には比較的余裕に勝って決勝の長崎県代表だけ少し手こずったかなくらいの感じで、無事に二位パート優勝で終えました。


その後に続く春の県大会では主力メンバーが3人欠けた状態でもライバルの某私立高校に10点差負けだったので監督は試合後に「先が見えたな」と言って上機嫌でした。


正直一位パートで九州大会に行っても佐賀の有名な工業高校とか大分の花園優勝経験もある高校とかと当たると初戦で負ける可能性もあるため、勝ち進めて試合数が多くなる二位パートの方が良いという計算もあったかもしれません。


その九州大会でも結局決勝戦は福岡代表のうちと長崎代表の高校でした。当時二年生でのちのサントリーで日本代表にもなる有名選手がいましたねー。


僕たちは全然知らなかったんですが、決勝戦前夜に持ち込み禁止の携帯電話が監督にバレて三年生は夜通し怒られていたみたいな話を聞きました。


試合には僅差で勝ったものの、帰りのバスとかは重苦しいムードやったなぁというのは覚えています。


ここから夏合宿に向けての練習になります。


ほとんど自分の話が出てこないね。だってあまり試合に出れなかったので。


夏休みは監督同士が仲良しの鹿児島の高校がうちに来て一週間ほど滞在して練習と試合を繰り返すというのが自分がいる時のパターンでした。


ただ夏合宿中盤からは怪我人が続出して、最終日にはメンバーが固まらず、かなり当初のメンバーからポジションをいじったので空いたのがフッカーのポジションでした。


機動力があると言われていたフッカーできる2人の先輩が2人ともフランカーに行き、空いたポジションに自分が滑り込むと行った感じかな。


そして合宿最後の練習試合でそのメンバーで試合したところ、完璧と言って良いくらいの内容での圧勝。


いつもは50-20くらい?だったのがその試合では80-0くらいでのシャットアウト勝ち。それに気分を良くした監督はしばらくこのメンバーで行こうとのことで棚からこぼれ落ちてきたレギュラーの座でしたが何とか掴み取ることができました。

 

そこからはその年の国体で躍進をするオール熊本と試合をしたり、長崎の強豪校と試合をしたり、レギュラーとして化け物ぞろいの一個上の先輩たちと試合ができたのは大きな財産となりました。


そして秋の県予選へと続く。Part3へ続く。