ラグビー中学校編No.016
小学校のミニラグビーも卒業して中学のジュニアチームの一員になりました。
まず何が違うかというと、小学校の時は学年で区切られているので一学年10人ちょっとくらいでワイワイやってる感じでしたがジュニアになると中学生という一つのくくりになるので先輩もいるわけです。
自分たちの二つ上の代は小学校卒業と同時にみんな抜けていき最後まで続けていたのが1人だけでした。その先輩はのちに高校でも先輩になる人で、卒業後はレフリーとしても活躍されています、今もかな!?
ただ、この代はいかんせん三年生が1人ということで2年生中心のチームは県大会でシーズンが終わってしまいました。
そして2年間ラグビーを一緒にやる一つ上の先輩たちは個性豊かで人数も多かったです。
チーム創設以来初めての九州大会出場も果たし、九州代表にも2人選ばれました。この2人とは別に後の大学選手権決勝のメンバーやトップリーグ、日本代表キャップを持つ人もこの代にはいました。
自分が2年生、先ほど書いた一つ上の先輩方が3年生の時には福岡県大会を勝ち抜き、最後は抽選で九州大会にも行きました。
このころの自分はというと試合に出ることも出来ず、九州大会も帯同はしましたが試合に出る見込みが全くなかったので宮崎県代表のチームが人数不足のために参加できないので助っ人に行くことになりました。
九州大会の開催地が九重だったのでその名も「九重ドリームス」でしたが、参加してる僕達はいわば戦力外通告者たちなので夢も希望もありませんでした。
先輩たちはというと準決勝で優勝候補のチームに負けてしまい(うちのチームから1番近い同じ市内のチーム日本代表のパナソニックの山田選手が育ったチーム)、3位決定戦に回りました。
3位決定戦は相手が確か大分県代表やったなぁ。うちのFWの主力の選手がその準決勝で怪我をしたのでイマイチリズムが出ず、負けてしまいました。
ウォーターボーイをしながら見てましたが最後はみんなで号泣したのがいい思い出です。
一段落しそうですが、これまだ一個上の代の話です。ここで負けて引退してから新チームが始まります。
新チームになりましたがいかんせん自分たちの代はみんなホワッとしているというか勝負事にあまり向いてないんじゃないか!?と思える人が大半でした。
コーチの方からは去年のメンバーよりも戦力的に充実してると言われてましたが結局九州大会は出場かないませんでした。
今でも覚えているのがこのシーズンの県大会の時に自分の母校となる高校のラグビー部の部長の先生から声をかけていただいたことを覚えております。
チームの12人のメンバーの中で実力から数えても下から数えた方が早いし、そもそも最後の試合にも後半だけしか出られないくらいの実力でしたが、見てくれる人もいるんだと思いました。
最後に負けた試合は相手はこれまた隣の市のチームでよく練習試合とかしてたチームでした。
その中の1人は中学校では同級生でしたが、チームは別々、勝者と敗者になったので試合の翌日に顔を合わせた時はなんとも悔しかったです。
この試合が6月くらい、もうシーズン終了ということで受験勉強に向かうことになりました。
ラグビー小学校編No.015
改めて小学校編ということで始めはよくわからないまま親に連れて行かれ先生とパスをして始めたラグビーでしたが、それからしばらくして試合がありました。
その試合の時にうっすらと覚えているのはなぜかポジションはスタンドオフでした。今も昔もスタンドオフのポジションは試合中は司令塔、ゲームリーダーを務めますがなんで自分がここをやっていたのかが今考えてもちっともわかりません。
そして学年が上がるにつれてバックスの中でもセンター、ウイングと端っこの方に追いやられて確か3年生のときにはもうFWしてました。この頃うっすらと記憶にあるのは調子が良くてチーム内でも3番手くらいにいた事です。
でも4年生になってなんか色々もやもやしててその頃小学校のソフトボールを始めたのも併せて「なんかラグビーやめたい!!」ってなりました。
とりあえず練習に行くもグランドの隅っこでメソメソしててみんなから励まされ、その日はとりあえず辞めずにソフトボールと並行して続けることになりました。この時に止めてたら今何しとるんやろ!?
ソフトボールのチームは結構強かったのでレギュラーにはかすりもしないけどとりあえず練習試合とかでは結構勝ってました。出番は勝っている試合の6回とか7回とかの代打とか守備固め!?です。ラグビーの方はというと同じ市内にあるもう一つのチームが強くて(結局このチームは後の中学の九州大会も優勝しています。)もう一つの隣のチームも結構強いという感じなので練習試合するといっつも負けという記憶しかありません。
5年生になると大会にもエントリーしました。県大会になるのかな?福岡では少年ラグビーが結構盛んで県内には当時でも20を超えるチームはあったと思います。そのチームが集まって1日2試合、3週間に分けて計6試合の成績で順位を決めるというようなやつでした。
5年生の時は一応、Aチームで出ましたが惨敗続きでタックルに行かなくて先生に怒られた記憶しかありません。
6年生の最後の大会ではチームはBチーム、みんなで好き勝手しながらワイワイやってたのを覚えてます。相手も弱かったので幾つかの試合では勝てたのも大きかったですね。
この時に主に僕達を引率してた先生が急遽Aチームを見なければならなくなったらしく、その場を離れる時に言ったセリフが「別にお前たちを見捨てたわけじゃないぞ!!」と言ったんですが、なんかあえて言葉に出されると、そうか、やっぱり俺たちってBチームなんだし優先順位も後回しにされるのもしょうがないよねと思った次第です。子供に対する言葉遣いって気をつけようと今まさに痛感しています。
そんなこんなで小学校のミニラグビーも卒業、そのままラグビーからも卒業して離れる子もいましたが、持ち上がりで続けるという子がほとんどでした。
自分もやめる選択肢はなかったのでそのまま続けることにしました。
中学生編に続く。
ラグビーを始めたきっかけNo.014
かれこれ四半世紀以上ラグビーをしていますが、始めるきっかけを書いていこうと思います。
とは言ってもすごくシンプルで父と祖父の影響です。父は自分と同じ九州の公立高校でラグビーしていました。そのあとは大学にはいかず、すぐに就職。就職先は九州では盟主とも古豪とも言われるインフラ系の会社です。
小学校に上がる前からよく、父親が会社のラグビーチームの試合を見に行くのについて行ってました。ルールもわからずなんか蹴ってばっかやなーってのが当時の印象でした。父はもちろん会社のチームではプレー経験はなく、ただのラグビー好きのおっさんという感じですかね。
祖父はというと、父方ではなく母方の祖父です。若い頃にラグビーをやっていたらしく、ラグビーを始めた後には試合も見に来てくれたりもしました。ただ、自分が11歳くらいの時に他界したので、高校での花園などは見にこれませんでした。
まぁ、こんな感じで家庭環境にもラグビーというものが身近にあった中でもう一つの偶然が重なりました。小学校の先生がラグビースクールの先生をしていたのです。PTAの集まりで母親に声をかけたらしく、いつの間にか練習に行くことになっていました。
よくわからないまま、変な形のボール持って先生とパスをしたり、走り回った記憶しかないですね。それが今も続いていて、息子にもラグビーさせようかと考えている身だとは面白い縁ですね。
そのラグビースクールは家からは結構遠いところにあり、いろんな小学校から子供たちが集まっていたので、自分も市内の他の地域にも友達ができたのは良かったと思います。これが小学校に所属するスポーツとは違うところになりますね。
楕円球の世界に足を踏み入れたのが確か1989年の6月くらいだったと思います。そこから物語は始まると言っても過言ではないでしょう(笑)。ただ、その物語は今も継続中で日本代表になるなんてエンディングはないことは分かっていますが。
明日は小学校編書こうっと。
pound for pound パウンドフォーパウンド No.013
タイトルはボクシングの世界では有名な言葉らしいのですがちょっと思い出したので書いてみます。
アメリカにいたときに一緒にラグビーしていたロサンゼルス在住の友達からメールが来ました。とある大会でFresno(自分のいた町、ロサンゼルスからは車で4時間くらい)の人たちが来てて話したら「タカと昔ラグビーしてたよ」という話をしてよろしく伝えるよという連絡でした。
帰国が2006年なのでもう10年経っちゃいましたね。30になるまでに一回行ってUnder Over 30 game(チームを30歳で分けてガチンコ勝負をするというものです。)に出たかったです。という話は置いといて、、、。
その連絡くれた友人が自分のことを「良いプレーしてくれて助かったよ」と言ってたよとも教えてもらいました。
10年経っても一緒にやっていたことを覚えていてくれたことも嬉しかったです。
そこでタイトルのpound for poundなんですがボクシングの中では階級とかサイズとか考えずに今1番強いと思われる選手を表すときに使われるそうです。
普通に考えれば1番身体とかがでかいはずのヘビー級のチャンピオンが1番強いと考えられますが、軽量級や中量級の選手でもとんでもなく強かったりすると、階級を超越して強い!!みたいな感じで使われるみたいです。
あるアメリカ時代のラグビーのチームメイトが「お前は俺の知る限りじゃラグビーの中でパウンドフォーパウンドだ!!」と言ってくれたのは今でも誇りに思えます。
当時は多分、チームでも最軽量くらい、それでも大きな相手にタックルしに行ってたところなんかをそのチームメイトは覚えていてくれたんだろうか?
facebook上の文字だけでしたが読むとこみ上げてくるものがありました。今ではそんなことを言われることもないのでたまに、この文章を見返しに来て元気を出そうと思います。
人生初のMRI No.012
今日は朝に脳神経外科に行ってきました。先週日曜の受傷からなかなか頭痛が治まらないので一度病院行ってみるかと思って行きました。最初に問診してそのあとMRI撮影してまたそのあとにしばらく待って画像見ながらの説明といった感じでした。
9:00過ぎに病院に行きましたが出たのは12:00くらいでした。なんだかんだ病院って時間かかるんですね。しかも、MRI撮ってるので金もかかるし。健康って本当に維持するのに金がかかりますね。
そのあとは家族と合流して近くの駅のお祭りイベントに。子供は綿菓子食ったりして機嫌がいい中で丁度Dr.ストレッチの体験コーナーが10分片側のみというものでしたがやってたのでやってみました。
事前に測定ということで前屈してくれと言われたのでまぁドヤ顔しながら両手の平をべたっと付けてやりました(笑)。右膝が少し曲がってますねと言われ、これを覚えておいて施術後にもう一回試してみてくださいと言われました。
ストレッチって自分でもやりますが人にやってもらうのって気持ちのいいもんだと改めて痛感しました。あと、結構バランスって悪いもんなんですね。足の後ろ側は結構柔らかい感じでしたが前の方は結構ガチガチしてました。そのストレッチも教えてもらったのでこれから少し意識的に取り組んでいこうかなと。
終わったあとにもう一度前屈してみましたが確かに施術をしてもらった右のほうが張りとかが少なくなってた気はしました。
そのあとはアフターフォローという名の勧誘の時間です(笑)。向こうももちろんボランティアでやっているわけではなくて本コースにどれだけ登録できるかなというのが目的だとは思うのでここは黙って説明を聞いときます。
90分コース、受けてみたいもんですがやっぱりお金がネックですねー。誰か、回数券とかくれないかなー(笑)。
でもやっぱりやってくれてる人たちがどれだけの知識とかを持ってるのかが気になります。研修三日間とかでやったりしてないよね(笑)!?ライザップも確かトレーナーの研修が一ヶ月くらいしかないとかいうのを噂で聞いたことがあります。
まぁ、客の入りが悪くなればバイトとかからどんどん削られていくんやろうなぁ。
吉田沙保里敗れる。No.011
もう少し古いネタになるけど、やはり気になったので。
日本国民の8割以上(適当)の期待を背負いオリンピックに出た吉田さんですが決勝でアメリカのマルーリス選手に負けてしまいました。
いろんなコメントが出ていて、ダルビッシュの嫁の山本聖子が昔コーチをしていたとか、吉田沙保里に憧れてレスリングを続けていたとか。このマルーリス選手の物語がそのままスポ根マンガになれるくらいの壮大なものとしても扱われています。
伝説や不敗記録というものはいつか終わりを告げるものですが、今になって考えると、終わりを告げるなら世界で一番注目される舞台でされたこの流れが一番良かったんでんはないかと思うしかできないです。
オリンピックの決勝で金メダルを賭けての王座継承、マルーリス選手の新たな伝説が始まるのか、それともまたマルーリス選手を倒すような日本人が出てくるのか?それも楽しみですよね。
吉田沙保里が引退と言ったら空いた階級には日本人は誰が来るのか?とか、吉田沙保里を避けたけど、オリンピックの4連覇の伊調選手もすげーよ。とか。
完全に甲子園の時の清原すげー、とかメジャーに行っても活躍するイチローすげーとか男が酒呑みながらでも語れる存在になりました。
レスリングといえば吉田沙保里、吉田沙保里と言えばもう最強16年間負けなかった。とみんなの記憶に残るくらいの選手です。
次の東京オリンピックはどうか?と聞くなんて野暮ですよね。今大きな大会が終わって四年後の大会とか考えられるかよ。肉体的にはピークは超えてるんだろうから。四年に一回だから節目にはなるだろうけど、負けたら次!!とか負けたら引退しなきゃ行けないみたいな空気もなんだかなーと思う次第です。
今週末からはRugby Championshipが始まります。まずはニュージーランドとオーストラリア、ワールドカップ決勝の再戦ですね。どうなることやら。
夜になると頭痛No.010
日曜日に脳震盪になり、月曜日のジムで頭痛が再発したので今週はトレーニングオフとしています。
本当なら今日は水曜日なので別のチームの練習に参加する予定でしたが無理してセカンドインパクトも怖いので今日もまっすぐ家に帰ってすぐに寝ます。
夜になるとなぜか痛みがぶり返してきます。
話は変わって、実はこのブログを始める時に三度目の正直と書いていたのですが実は4回目でした。
前職を辞める頃(ほとんどクビに近い感じでしたが)に当時の気持ちをまとめておこうと始めたブログでしたが新しく大阪で仕事が決まってバタバタしていたらあっという間に更新をサボってました。
アクセス解析をしてみると、「最終出社日」「やること」とかで検索されてきている人もいました。
あの時の最終出社日も味気ないもんでしたね。持ってたパソコンを人事部に返して、デスクにいる内勤の人たちに軽く挨拶をするものの、哀れみの目で見られてその場から離れるといった感じでした。
もうあんな気分は味わいたくないとは思いますが、また仕事を辞めるようなことがあればあるのかな!?
今の会社でもやはり入ってくる人もいれば退社する人もいるし、組織ってこんなもんなんですよね。
残業はゼロに近いけどうっとおしいほどのいちゃもんをつけてくる人もいたりして無駄にストレスが溜まります。
ほっとけばいいのにいろいろ言いたくてたまらないのでしょうね、きっとただのストレス解消なんでしょう。それならそうはっきりと言えばいいのに貴方のためだとかみたいな大義名分をつけるからそれがさらにうっとおしい。
最後は変な愚痴になりましたがやっぱりトレーニングできないとモヤモヤが溜まりますね。早く治して筋トレしたいな、じゃないと変な毒ばかり吐いてしまうわ。